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第十四話 大篆門

مؤلف: 春埜馨
last update تاريخ النشر: 2025-10-20 14:59:14

 |師玉寧《シーギョクニン》の背中に乗るという夢のような体験は瞬く間に幻と化し、|墨余穏《モーユーウェン》は無事寒仙雪門に辿り着いた。玉庵へ続く石段を二人で登っていると、一人の弟子が扉の前でじっと立っているではないか。墨余穏は目を細めて師玉寧に尋ねる。

「お! あれは|一優《イーユイ》か? それとも|一恩《イーエン》? あ、もう一人いたな? 確か|一明《イーミン》だっけ?」

「あれは一優だ。一明は、父上の所へ行ってもらっている」

 |師玉寧《シーギョクニン》の下には、見分けのつかない三つ子の弟子がいる。どこで個々を判断しているのか尋ねると、師玉寧は眉の位置と声の違いで判断しているという。|墨余穏《モーユーウェン》はさっぱり分からないといった様子で視線の先にいる一優を見る。

 |一優《イーユイ》はこちらに気づくと、やっと帰ってきたと言わんばかりに目を輝かせ、二人の前で拱手する。

「|師《シー》門主、|墨逸《モーイー》兄さん、お帰りなさい。至急こちらを門主に渡すようにと言われ、ここで待たせていただいておりました」

 |師玉寧《シーギョクニン》は、「分かった」と言って、届いた一通の書簡を|一優《イーユイ》から受け取った。包みを丁寧に開け、中の紙をゆっくりと取り出し、達筆で書かれてあった文字を読む。

 すると|師玉寧《シーギョクニン》の表情がたちまち曇り始め、眉間に皺を寄せた。

「どうしたの? |賢寧《シェンニン》兄? そんな怖い顔して」

 師玉寧は無言で、墨余穏に紙を手渡す。

「何? 読んでいいの?」

 墨余穏はそう言って、紙を受け取り読み始める。

「ん〜っと、どれどれ。師門主殿。甦った|墨余穏《モーユーウェン》がそちらにいると聞いた。至急、墨余穏と話がしたい。三日以内にこちらへ来るよう、本人に伝えてもらえないだろうか。決して悪いことはしない。時間がないのだ。よろしく頼む。|高書翰《ガオシューハン》」

 |墨余穏《モーユーウェン》は|師玉寧《シーギョクニン》の顔を見ながら確かめるように「だって」と笑う。

「どうする? 行くのか?」

「まぁ、そうだね。ここは|賢寧《シェンニン》兄の顔を立てて、行ってくるよ」

「大丈夫なのか? 高門主と仲違いしているのではないのか?」

 |師玉寧《シーギョクニン》は眉間に皺を寄せたまま、心配そうに尋ねる。|墨余穏《モーユーウェン》は笑いながら、ひらひらと手を振り、「平気だよ」とすぐに大篆門へ行く準備を始めた。

 確かに昔は|高書翰《ガオシューハン》を含め|大篆門《だいていもん》の門派の連中からは煙たがられていた。

 特別何かをされた訳ではないが、良好な関係があった訳でもない。大篆門に所属していないのに、大篆門の礎を取り込んだ呪符を使うのは|高書翰《ガオシューハン》にとってはいい気分ではなかっただろう。

 それに、この門主・|高書翰《ガオシューハン》は昔、常に自分と比較される|豪剛《ハオガン》を強く憎み、ある事がキッカケで豪剛を大篆門から追放した張本人だ。

 一体、何を今更話したいというのだろうか?

 |墨余穏《モーユーウェン》は、皆目見当がつかないといった様子で唇を立てた。

「じゃ、俺は行ってくるよ。早く行って早く帰ってくるから」

「もう直、夜になる。何かあればすぐに神通符を飛ばせ。いいな」

「は〜い。じゃ」

 |墨余穏《モーユーウェン》は、|師玉寧《シーギョクニン》と|一優《イーユイ》に手を振りながら、門まで続く石段をまた駆け降りていった。

 |大篆門《だいていもん》は、|尊丸《ズンワン》の住む尊仙廟から近い場所にある。裏手の黄山を抜けていけば直ぐに辿り着く。|墨余穏《モーユーウェン》は乗蹻術を半分使い、大篆門へ急いだ。

 大篆門の大きな門の前に到着した|墨余穏《モーユーウェン》は、松明を持った門番に|高書翰《ガオシューハン》から書簡を貰ったと伝えると、何ら警戒心もなく中へ案内された。

 門番に連れられしばらく歩いていると、前から突然片腕を負傷した男が|墨余穏《モーユーウェン》に向かって|紙人術《しじんじゅつ》を投げ飛ばしてきた!

 |墨余穏《モーユーウェン》は咄嗟にその呪符を躱し、背後からやってくるもう一枚の呪符は人差し指と中指で阻止するように掴んだ。男は「さすがだな〜」と言いながら、|墨余穏《モーユーウェン》の前に顔を見せる。

「久しぶりだな、|墨余穏《モーユーウェン》。動きが|豪剛《ハオガン》そっくりだ。本物で間違いない」

 |墨余穏《モーユーウェン》は、その渋い髭面の顔を見るや否や、小さく頭を下げ拱手した。

「|高《ガオ》門主。お久しぶりです。お話しがあると聞いて、こちらに参りました」

「まぁ、そんな堅苦しくなるな。寒仙雪門から来たんだろ? あっちで温かい茶でも飲みながら話そうではないか」

 そう言われた|墨余穏《モーユーウェン》は何も言わず、穏やかな笑みを浮かべた|高書翰《ガオシューハン》の後ろをついて行く。

 鯉が泳ぐ池の脇を通り、木の板を無数に繋ぎ合わせた橋の上を歩いていくと、手入れの行き届いた庭園を眺められる豪華な客間へ到着した。

「まぁ、そこに座れ。今、茶を用意させる」

 |墨余穏《モーユーウェン》は礼を言いながら、|高書翰《ガオシューハン》と向かい合うようにして、椅子に腰掛けた。

「ところで、どうやって生き返ったんだ? 何かの術か?」

 |高書翰《ガオシューハン》は興味津々といった様子で、茶が運ばれてくる前から話し出す。|墨余穏《モーユーウェン》は、乱用された呪符に自分の魂魄が入っていた為、その影響を受けて甦ったのではないかと話した。

「ほぉ〜。実に興味深いな。余程、お前を死なせたくなかった奴がいたんだな。普通は死ぬと魂魄も離れちまうからな。長生きはできても、甦ることはなかなかできないぞ。あぁ。ありがとう」

 |高書翰《ガオシューハン》は運ばれてきた茶器を受け取り、芳醇に香る花茶を口に含んだ。|墨余穏《モーユーウェン》も出された花茶を口に含みながら、|高書翰《ガオシューハン》の話に耳を傾ける。

「先日、鈴音のを鳴らす昔の馴染みに腕をやられちまってな。|豪剛《ハオガン》から|呂熙《リューシー》という男の話を聞いた事はないか?」

「呂熙……? いや、ありません」

「そうか。あの|豪剛《ハオガン》ですら片腕しか斬れなかった突厥の強者だ。そいつがまた、この界隈に別の突厥を引き連れて姿を現し始めた。そこでだな、|墨余穏《モーユーウェン》。|豪剛《ハオガン》の能力を受け継いだお前に力を借してもらいたい」

「はぁ……」

 |墨余穏《モーユーウェン》は、そんなことか……、と面食らった。てっきり、次こそは能力を全て剥ぎ取って二度と大篆門の術式を使わせないように、監禁されるのではないかと思っていたからだ。

 墨余穏は具体的に何をしたらいいのか|高書翰《ガオシューハン》に尋ねる。

「そうだな〜。|大篆門《だいていもん》に入って俺の右腕にならないか? 昔の馴染みに免じて優遇するぞ。お前、どこにも所属していないんだろう? いつまで散修のまま居続けるつもりだ? このまま|師《シー》門主に世話を焼かせるつもりなのか?」

 |墨余穏《モーユーウェン》は苦笑いを浮かべ、それもそうだと妙に納得してしまった。|師玉寧《シーギョクニン》は、寒仙雪門に身を寄せていろと言ってくれたが、いつまででも玉庵に居候する訳にもいかない。

 しかし、どうしても二つ返事はできなかった。

 この目の前に座る髭面の男は、かつて|豪剛《ハオガン》を追放した人間だ。根本からの信頼がない。

 墨余穏は一つ一つ言葉を選び、上手くこの状況を切り抜けようとする。

「ここに所属させてもらわなくても、僕はいつだって大篆門の礎は胸に刻んでいます。何かあれば助太刀しますし、裏切るようなことはしません」

「ならば、一筆書いてくれ。何があっても大篆門の礎は捨てないと」

 |高書翰《ガオシューハン》は胸元から一枚の紙を取り出し、|墨余穏《モーユーウェン》に差し出した。

 |墨余穏《モーユーウェン》は一瞬戸惑うが、本心だった為、何の偽りもなく誓いを立てるかのように直筆で名前を書く。

「よし、お前はこれでいつでも大篆門の仲間だからな。帰りたくなったら、いつでも帰ってこい。いつでも歓迎する」

 |墨余穏《モーユーウェン》は小さく礼を言うと、|高書翰《ガオシューハン》から大篆門の守護術が入った一枚の呪符を渡された。

「守護術の入った呪符だ。何かあれば、これで私たちを呼べ。直ぐに駆けつける」

 その呪符をしばらく眺めた後、|墨余穏《モーユーウェン》はそれを胸元にしまい、|高書翰《ガオシューハン》としばらくたわいもない会話をした。

「泊まっていけ」と言われたが、丁重に断り|墨余穏《モーユーウェン》は夜遅くに大篆門を後にした。

 皓月を頼りに夜道を歩きながら、|墨余穏《モーユーウェン》は寒仙雪門へ向かおうと乗蹻術の呪符を取り出すが、何の反応もしない。

「ん? 何故だ? 何故反応しない?」

 |墨余穏《モーユーウェン》はもう一度、功力を込めて乗蹻術を念じるが、無反応のまま呪符が落ちていく。

 焦る墨余穏は、違う呪符ならばと違う呪符を胸元から取り出し、手のひらに乗せて浮かせようとするがこれも反応しない。

 神通符ならどうだろうか……?

 |師玉寧《シーギョクニン》の元にこれさえ届けば……

 |墨余穏《モーユーウェン》は一縷の望みをかけて、神通符を飛ばす。しかし、神通符はそのまま紙切れが舞うように、草むらへまたひらりと落ちてしまった。

「はははっ……、まずいな。今ここに、妖魔や強者が来たら戦えないじゃん。|高書翰《ガオシューハン》め……。いい顔しやがって、これがしたかったのか……」

 |墨余穏《モーユーウェン》が怒りのこもった独り言を嘆いていると、背後からリンリンと鈴の音が聞こえてきた。

 (この鈴の音はさっき言っていた……)

 墨余穏は何故か身動きが取れなくなり、ありとあらゆる所に瘀血が出始める。

 術式を封印された今、誰かと戦うことは飛んで火に入る夏の虫だ。|墨余穏《モーユーウェン》は気功を呼び覚まし、瘀血を最小限にとどめる。

「化け物も引っ込む時分に、黒色の鼠が一匹……」

 背後から鈴の音と妙な濁声が耳に入り、|墨余穏《モーユーウェン》は一気に鳥肌が立った。

「鈴の音はやはり幸運もたらす」

 男は獲物を見つけたかのように、|墨余穏《モーユーウェン》の背後にピタリと引っ付き、墨余穏の首を鉤爪でそっと引っ掻いた。ほんの少し触れただけなのに、墨余穏の首からは瞬く間に血が滲み出る。

 墨余穏は首元を抑えながら、声を絞り出した。

「お前は……、|呂熙《リューシー》か?」

「御名答。後世まで名前が知れ渡っているとは、さすが博学多才な天台山だ。昔より衰えたとはいえ、張り子の虎ばかりではなさそうだな」

 |墨余穏《モーユーウェン》は鼻で笑いながら|呂熙《リューシー》を一瞥する。

「さてと、その睨み節もここまでだ。お前を殺して私は次に行かねばならない」

 呂熙は鉄のような鉤爪を更に尖らせ、鉤爪同士を重ね合わすかのようにキンキンと鳴らし、次は|墨余穏《モーユーウェン》の首全体を狙い、鉤爪を横に振り翳した!

 絶体絶命だと墨余穏は目を瞑る。

 しかし鉤爪があとほんの少しで墨余穏の首に突き刺さるというところで、|呂熙《リューシー》の鉤爪がバリバリという音を立てて、一瞬で凍りついた!

 墨余穏は瞑っていた目を開き、瞬きをすると、首元に青い線が入った白い衣の男を捉えた!

「|賢寧《シェンニン》兄!!!」

 |師玉寧《シーギョクニン》は|墨余穏《モーユーウェン》を庇うかのように目の前にいる|呂熙《リューシー》から、距離を取らせる。

 呂熙は顔色を失い、溜め息を漏らした。

「ここに来て白い鼠か……。すまないが今日はもう時間がない。門主とはまた手合わせすることにしよう」

 |呂熙《リューシー》はそう言って、また|阿可《アーグァ》の時と同じように、抜け殻だけを残して去っていった。

 すると、|師玉寧《シーギョクニン》は、怒りを帯びた顔で|墨余穏《モーユーウェン》の方を振り向く。

 それを見た墨余穏は「ごめん」と言おうとするが、「ご」を言う前に、頭の中が真っ白になった。

 突然、師玉寧に勢いよく抱き寄せられ、血が滲み出ていた首の傷口を舐められたあと、キツく傷口を吸われたからだ。

 唐突な出来事に声も出ず、ただひたすら湧き上がる興奮と痛みを我慢するしかなかった。少しでも動こうものなら、師玉寧の恐ろしい腕力で身体を力強く固定される。まるで、大木に押しつぶされているかのようだ。師玉寧の唇が首に触れる度、墨余穏は全身に走る電流のような刺激に、思わず「んんっ……」と恥じらいの声を漏らしてしまう。

 |師玉寧《シーギョクニン》はそんな|墨余穏《モーユーウェン》の感情など露ほども知らずといった様子で、口に含んだ墨余穏の血を吐き続けている。

 そして、十回ほど吸われたところでようやく解放された。

 墨余穏は師玉寧に酔眼のような目を向け、まるで事後のような乱れた呼吸をする。

 顔がとても近い……。

 汚してしまったその淡い丹花をすぐにでも拭いたいと、|墨余穏《モーユーウェン》はその丹花に触れようと手を伸ばす。しかし、|師玉寧《シーギョクニン》はそれを上手く躱すかのようにふと離れた。

「応急処置だ。あいつの鉤爪には毒がある」

 |師玉寧《シーギョクニン》はそう言いながら、衣の袖で赤く汚れた唇を拭った。

 そして怒り口調で墨余穏を責め始める。

「何故、神通符を飛ばさなかったんだ? こんな時間まで何をしている!」

「ご、ごめん。|賢寧《シェンニン》兄。そんな怒んないでよ。大篆門を出たら術が使えなくなったんだ。それで、帰ろうにも帰れず、とりあえず尊仙廟まで行こうと思ったらあいつに出会して……」

「術が使えなくなっただと?!」

「うん。一筆書かされたから。その時に多分封じ込められた」

 |師玉寧《シーギョクニン》は、何をやっているだと言いたげに深い溜め息を漏らした。

「安易に名前を書いてはいけないと教わっただろう。後は何をされた?」

「うーんと、これを持っていろと言われて渡された」

 |墨余穏《モーユーウェン》は胸元から、|高書翰《ガオシューハン》から貰った呪符を取り出した。

 |師玉寧《シーギョクニン》はそれを一瞥し、「今すぐ捨てろ」と言い放った。

「それは、お前の居場所を把握する為の呪符だ。高門主に見張られているということだぞ。……本当にお前は警戒心が弱すぎる」

「ごめん……」

 |墨余穏《モーユーウェン》は困り顔で癖のように唇を立てた。それからというもの、墨余穏は少年が母親に叱られるかの如く|師玉寧《シーギョクニン》から長々と説教を受け、寒仙雪門に戻ってからは、首を絞められるのではないかと思うぐらい傷口にキツく包帯を巻かれた。

 そして、終いにはあの苦い一葉茶を三杯連続で飲まされる羽目になり、墨余穏は一人、吐き気が治るまでしばらく外の草むらで過ごしたのだった。

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تعليقات (1)
goodnovel comment avatar
Eve郁
今回も楽しく読ませていただきました〜!! まさか、あんなっ……!!🫣🫣ノーガードの時に急にブローを決められた気分です...(墨余穏くんは、もっとびっくりしたはず) なかなか、やりますな……玉寧さん... なんか癖の強そうな敵キャラもでてきて、ますます目が離せませんー!! また次回も楽しみにしてます...
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     翌朝、|墨余穏《モーユーウェン》は|一恩《イーエン》に|金王《ジンワン》から受け取った十包の薬を渡し、修行先である|崑崙山《こんろんざん》へ再び戻ることを伝えた。 「そんな。寒仙雪門には部屋もいくつかありますし、今すぐお戻りにならなくても……」 「いや、時間が無いんだ。|賢寧《シェンニン》兄が回復したら、すぐに鳥鴉盟のところへ行かなきゃならない。今のうちに修行しておきたいんだ」  |墨余穏《モーユーウェン》は先輩らしく、安心させるような逞しい笑みを見せて、|一恩《イーエン》の両肩を軽く叩いた。 そこまでしてどうしてですか、と肩を落とす|一恩《イーエン》に、|墨余穏《モーユーウェン》は頬を掻きながら照れ臭く言う。「好きな人の前ではカッコつけたいだろ」  賢い|一恩《イーエン》は顔と耳を瞬時に赤らめ、「そうですね」と言った。 続けて、何かを思い出したかのように、突然「あ!」と切り出す。「何だよ、急に」「|師《シー》宗主のお部屋を綺麗にしていた時、萎れた一輪の水仙が落ちていました。あれは、恐らく|墨逸《モーイー》先輩が持って来られたものですよね? 拾って小さな瓶に入れておいたら見事に咲き戻りまして……」「……」「……それを|師《シー》宗主の枕元に置いておいたら、昨日それをずっと穏やかな目で眺めてらっしゃいました。ご記憶が戻るのも時間の問題かもしれません」 |墨余穏《モーユーウェン》は少し間を置いて、「……だといいな」と言って小さく微笑んだ。記憶の片隅に残っている物を見ると、過去の記憶が蘇る話はよく聞く。|墨余穏《モーユーウェン》にも、一筋の希望の光が見えた気がした。「じゃ、|一恩《イーエン》。あとは頼んだぞ。何かあれば、また知らせてくれ」 |墨余穏《モーユーウェン》はそう言って、手を振りながら寒仙雪門を後にし、乗蹻術を放出して|黄轅《コウエン》のいる崑崙山へ向かった。 ◆ ほんの数日で戻ってきた|墨余穏《モーユーウェン》を見て、|黄轅《コウエン》は驚いた!「|墨逸《モーイー》! もういいのか?」「あ、|黄轅《コウエン》先生! いやぁ〜、それが……」 |墨余穏《モーユーウェン》は頭を掻きながら、|師玉寧《シーギョクニン》が思った以上に深刻であることを報告した。 そして一番恐れていた黒幕の正体も。「やはり、私の読み通りか。

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    床に落ちた萎れた水仙の花に気づかず、|墨余穏《モーユーウェン》はそれを踏み付けて、|師玉寧《シーギョクニン》のいる荒れた寝台へ向かった。 「|賢寧《シェンニン》兄、俺だよ」 |墨余穏《モーユーウェン》は愛猫を愛でるかのような表情を見せて、優しく問いかけた。 以前のように何気なく|師玉寧《シーギョクニン》の肩に触れようと手を伸ばすが、煩わしいハエでも払いのけるかのように、力強く|師玉寧《シーギョクニン》に阻止される。 「誰だ! 貴様は! 知らない者が私に勝手に触れようとするな! 穢らわしい!」 |知らない者《・・・・・》と言われた|墨余穏《モーユーウェン》は「ごめん……」と言って、僅かに震える手を引っ込めた。 |墨余穏《モーユーウェン》は小さく息を吐き、気を取り直してもう一度、|師玉寧《シーギョクニン》に話しかける。 「知らないだなんて酷いなぁ〜。|賢寧《シェンニン》兄とずっと一緒にいた|墨逸《モーイー》だよ。本当に俺のこと忘れちゃったの?」 「知らないと言ったら知らない。用がなければ早く出て行ってくれ!」 どうやら、本当に|師玉寧《シーギョクニン》は記憶を失くしてしまっているようだ。|一恩《イーエン》曰く、特定の人物だけの記憶を失くしている訳ではなく、自分が何者かであることも忘れてしまっているらしい。 |墨余穏《モーユーウェン》は窓を開け、日差しの光で輝きを放っている埃たちを外へ追いやった。 「分かった、分かった! 俺は出て行くから、その代わりこの部屋を綺麗にさせてよ。ほら、見てよ! 凄い埃。こんな所にずっと居たらその傷も治んないよ。手当てもし直したいし、あなたは少しそこのカウチに横になって休んでもらってていいから、ね? |一恩《イーエン》」 「は、はい! 私たちが全てお綺麗にしますので、お気になさらずどうぞこちらでお休みに……」 |一恩《イーエン》は鼻を啜りながら、カウチを案内するように両手を向ける。 すると、|師玉寧《シーギョクニン》は黙ったまま、腹の痛みを抑えながら寝台から足を出した。 「手を貸そうか?」と|墨余穏《モーユーウェン》は尋ねるも、|師玉寧《シーギョクニン》は「触れるな」の一点張りだった。|墨余穏《モーユーウェン》は|一恩《イーエン》に掃除道具や処置に必要なもの、身体を拭く湯などいくつか持

  • 天符繚乱   第九話 天流会  (初会編)

     |墨余穏《モーユーウェン》は胸元から通行書を取り出し、門番へ渡す。 鍾馗のような顔つきの門番はそれを受け取り、|墨余穏《モーユーウェン》を上から下までなぞるように見遣った。 通行書に書いてあった文字を読むやいなや、門番は懐かしい人を思い出したかのように、突然表情を緩ませる。「若公子は、あの|豪剛《ハオガン》道長の御子息でしたか〜! お待ちしておりました。中へどうぞ」 |墨余穏《モーユーウェン》は、白い歯を見せてニコッと笑う。 (さすが、父ちゃん。名を見せるだけで、人の形相まで変えられるんだ! ) すると、先に門を通過していた|師玉寧《シーギョクニン》も驚いたように振り返り、「父

  • 天符繚乱   第八話 寤寐思服

    深い眠りに落ちた|墨余穏《モーユーウェン》は、記憶を辿る夢に沈んだ。それは鮮明に、|墨余穏《モーユーウェン》の瞼の裏に立ち現れる。 かつて尊仙廟の近くにあった|豪剛《ハオガン》の家で、十五歳の|墨余穏《モーユーウェン》は、修得したばかりの呪符を書き連ねていた。 「うん! よし! これでいいだろう」 |豪剛《ハオガン》から道教の仙術を一通り習い終えた|墨余穏《モーユーウェン》は、様々な呪符を書いては時々現れる妖魔をことごとく抹消し、|豪剛《ハオガン》も感心してしまうほどの強さと実力を持ち始めていた。 |豪剛《ハオガン》に引き取られたことが功を成し、|墨余穏《モーユーウェン》の人生

  • 天符繚乱   第七話 寒仙雪門

    寒仙雪門の冷風に乗って舞い踊る水仙の甘い香りが部屋中を漂い、|墨余穏《モーユーウェン》の鼻の奥をつんと冷やす。 ゆっくりと目を開け、豪華な白い紗が幾重にも重なった洒落た天井を見遣る。 (ここは……) 「目が覚めたか」 透き通った聞き覚えのある美声が、脳天に降りてくる。 |墨余穏《モーユーウェン》はムクっと上体を起こし、カチャカチャと音のする方に目を向けると、仏頂面な顔で|師玉寧《シーギョクニン》が茶を淹れていた。 「ここは?」 「私の私室だ」 (ここが、建て直したと言っていた玉庵か……) そう聞いた|墨余穏《モーユーウェン》は、夢でも見ているのではないかと錯

  • 天符繚乱   第六話 邂逅

    あれから叶わぬ慕情を抱き、あれこれと思い煩っていると、気がついたら朝陽が昇っていた。 |墨余穏《モーユーウェン》は寝台から気怠く起き上がり、椅子に掛けておいた黒い衣に着替え、書いておいた呪符を胸に忍ばせて部屋を後にする。 宿屋を出てすぐ、|一枚の神通符がこちらに向かって飛んで来るのを感じた。 |墨余穏《モーユーウェン》は右手でそれを瞬時に掴み、神通符に書かれてあった文字を読む。 『|鳥鴉盟《ウーヤーモン》襲撃。至急援助を求む』 「まだ朝だぞ……。いつから鴉は夜行性じゃなくなったんだ?」 |墨余穏《モーユーウェン》は独り言を呟きながら、神通符を手で握り潰し、|緑琉門《りゅ

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